僕は普段、技術書は読むが、
小説や自己啓発系のたぐいの本は読まない。
読みたくもない。
時間の浪費だ。
僕にとって多くの小説や自己啓発本などは
ゴミと一緒だ。存在意味はない。
もちろん聖書などクソくらえだ。
僕は小学生の頃、古典を中心に小説を読みすぎたのだろう。
ほとんどの小説は、出だしの5ページで結末がわかる。
小説の全てのパターンは、古典の中にある。
最近の小説は、古典の焼き写しに過ぎない。
焼き写しを読むほど、暇ではない。
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自己啓発本など、いくら読んでも意味はない。
自己啓発本の言葉がどんなに心に響こうが、私は私だ。
それ以上にもならないし、それ以下にもならない。
自己啓発本の類は、悩み多き自己評価の低い人間が
一時的にでも、安心したいために読むのだろう。
ご苦労な事だ。
そんな本を読んでも、世の中も自分も、何も変わりはしない。
たかが本一冊で世の中が変わったとしたら、
それは、あなたの人生が薄っぺらい証拠だ。
小説に関しては、小学生の時にドストエフスキーの
「罪と罰」を読んで以来、小説家の正体を
捉える事ができたので、
現在、あえて小説は読まないのだ。
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これは僕の場合だ。
あなたとは違うだろう。
もちろん小説から学ぶこともあるだろう。
学ぶことは良い事だ。
特に子供時代は本をたくさん読みなさい。
学ぶべきことは多い。
僕が何と言おうと、学びたい人は学ぶべきだ。
人生には教養が必要だ。
ただし、知識だけ集めても何の意味もない。
行動が伴って、初めて知識が意味を得るのだ。
だから自己啓発本などを呼んでいる隙があるなら
会いたい人に直接会って、話をしなさい。
行動が人生を変えるのだ。
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さて、僕の定義する「小説家」とは
大いなる嘘つきで、ひねくれた狂人でありながらも
日常生活を綱渡りのように不器用に過ごせる人間の事だ。
そして牧師のように軽々しく愛を語らず、
善悪を超えて思考する怪物人間と定義している。
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いわゆる恋愛小説や、ラノベなどを書くクズは
小説家とは認めていない。
多くの小説が毎日のように生産されているが
所詮は中身の薄い消耗品だ。
トイレットペーパーと同じだ。
大量生産されるただの消耗品だ。
僕の好奇心は満たされない。
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かって、僕の好奇心を大いに満たしてくれたのは
小学生の頃に出会った、安部公房だ。
海外のいわゆる古典を読み漁った後、
日本の現代小説家をあいうえお順に
全て読んでみようと図書館に通った。
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そこで早々に出会ったのが、安部公房だった。
彼は真の小説家だった。
軽々しく愛を語らない怪物だった。
虚構と現実の境目に存在する狂人あるいは
純粋すぎる不条理だった。
あらゆる作品が僕の好奇心を刺激し
精神を破壊してくれた。
それを僕は受け入れた。
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現実なのか虚構なのか。
喉元に突きつけられた不条理に困惑しながらも
未来を見つめる・・・。
そう、僕にとって小説とは精神を破壊し
再生してくれる道具なのだ。
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その意味で、安部公房は最高のご馳走だった。
僕は安部公房というご馳走を食べれて
ご満悦だった。
が、別れの時が来た。
安部公房が僕に断りもなしに永眠したのである。
悲しいことだ。
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それよりも悲しかったのは、安部公房の死後
彼の書きかけだった小説が発表されてしまったことだ。
本人の承認を得ていないだけに、内容はクズだった。
そのクズさ加減が虚しかった事を今も覚えている。
死者に鞭を打ってはいけないのだ。
死人を蘇らせてはいけない。
不幸になるだけだ。
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話がそれた・・・。
今日、「運命」は、僕に「村田沙耶香」という名前を告げた。
いい名前だ。
「沙耶香」という響きが好きだ。
空耳で、「さわやか」とも聞こえる。
そうか「運命」、僕に「村田沙耶香」の小説を
読めというのだな。よし、読んでみよう。
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県立図書館に「村田沙耶香」の小説があるかどうか
検索してみる。
すると、あるにはあるが予約が殺到していて
48番目の予約者になってしまう。
そんなに待ってはいられない。
待つのは僕のスタイルではない。
さっさと購入しよう。
「コンビニ人間」と「地球星人」を購入した。
なんと10年ぶりの小説購入だ。
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一気に読んだ。
そこには僕好みの「濃厚で無邪気な狂気」があった。
もちろん安部公房の味とは違うが、
独特の味で僕を十分満たしてくれた。
安部公房の作品との一番の違いは
読書後の独特な後味の悪さだ。
いい意味でも悪い意味でも
「村田沙耶香」は後味の悪さを提供してくれる。
それはとてつもない苦味と酸味による吐き気だ。
ユニークでクレイジーな作家だ。
下手に触ると精神が揺らいでしまう。
ああ、沙耶香の毒が精神を痺れさせる。
快感だ。
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小説の内容は書きません。
あとは自分の判断で「コンビニ人間」と
「地球星人」を読んでみてください。
あなたの感性は何を感じ取るでしょうか。
あるいは読まないという選択も
懸命な選択かもしれません。
問題作であり、ある意味病的なまでの
リアルさに吐き気をもよおす場合も
あるかもしれません。
決して万人受けする小説ではありません。
ある程度不条理に免疫がないと、
強いメッセージ性ゆえ、心が消耗します。
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決してお薦めしませんが、
世の中に不条理があるように
不条理な小説もあるということを
知ったほうがいいでしょう。
これだけクレイジーな表現ができる作家は
なかなかいないでしょう。
賛否両論を巻き起こす激しさがあります。
僕の好きなタイプの小説家です。
こんなクレイジーな作家を知ったのは幸運です。
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追記
おい、かってオレの手を噛んだ性被害キチガイババアよ。
一度「地球星人」を読んでみるといい。
そこには「会田誠」の表現を超えた不快感があるぞ。
この様な表現が性暴力を増長すると
声を上げなくていいのか?
お前は「村田沙耶香」を標的にしなければいけないだろう。
それができなければ、
お前の存在自体が虚構という事だ。
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老婆よ。
表現者は生きることに対して不器用なんだよ。
その事に気が付かない限り、理解はできないだろう。
壁を作っているのは表現者ではなく
あなたなのだ。
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